とある宮古の巡検雑記 スタパ版05
なんとなく余興でスタートした穴モノ奇行もついに五回目。なので「巡検雑記」のカテゴリーを作って、振り返りやすくしてみました(笑)。ちなみにこの「とある宮古の巡検雑記」というタイトルは「とあるみやこのスクリブラー」というルビになります(超電磁砲の二期もちょうどスタートしたので解説してみたwww)。尚、本来は
コチラでやっていたもので、
第一話の巻末にスクリブラーの解説もしてあります(爆)。
ともあれBlogの更新が完全に滞っていたので、ネタを溜め込み過ぎてしまい、最初のワクワク感が薄いのはご了承ください。
パイナガマビーチ機関銃壕
知っている方も多いと思いますので簡単に。。。パイナガマの南端(そもそも南長間でパイ・ナガマだけどね)。砂浜が終わった岩場の影に、こんな四角い穴がひっそりと開いています。いわゆる銃眼という奴で、狭い穴の中で腹ばいになって機関銃を構え、港湾を警備していたらしい(入口は上にあるらしい)。
【左】穴の位置は階段が終わったぐらいの高さ。聞いた話では昔は機関銃の弾とかが残っていて、火薬を抜いて燃やしたりして遊んでいたとか(だから岩が焦げているのかな?)。
【右】撮影時は夕方だったので、ちょっと引きの絵にしたらこんな感じで綺麗なのに、ひっそりと戦跡が残っていたりします(ビーチに増し砂しているから昔よりは埋まっているのかな?)。
西仲宗根 無名壕
オリックスキャンプ取材の時に発見した、東小“まなびの森”の北側にある謎の穴。実際、用途も名称も不明ですが、なんとなく元々あった小さなガマに手を加えた防空壕(または塹壕)のような感じがします。この山(林)の北側のラインには同じような壕が、なんとなくありそうな気配ですが藪が深くて発見することはできませんでした。
【左】壕の中は大人数人が余裕で入れる大きさで、細かいガレがたくさんあります。穴の大きさが均等なので手を加えた感じがします。
【右】穴から入口方向を振り返ると、穴に向けて緩い下りになっています。雨水が流れ込む浸透枡のような役目をしているようです。
【左】北団地から添道へ抜ける、地デジ中継局の鉄塔がある丘脈を越えたところに穴はありますが、他にもなんか隠れていそうです。
【右】そう思って覗いたら、怪しい階段を発見(左側に手すりも見える)。ほぼ自然に帰っていますが、この先にはなにがあるのでしょうね。ちなみに現在利用されている、“まなびの森”の遊歩道とは別の入口です。
下地仁屋利社の墓碑
名称的にはお墓ですが、形状が穴なのでこちらに含んでみました。下地仁屋利社(しもじにーやりしゃ)と書いただけでナンだか判るようなら宮古史通です。この墓は、明治12年4月に起きたサンシー事件で殺された利社の墓です(事件の細かい内容は長いので
wikiにお任せしますが、凄惨なお話です)。
尚、事件当初、遺体は腰原越のアブ(場所は不明)に投げ捨てられたが、その後、本島の護国寺で弔われ、大正期に改葬されたので遺骨はここにあるのかな?。
【左】墓に行く目印はこの柱。というか市営北団地の前に立っていて、そのうち行くと思ってスルーばかりしていたけど、行って見たらとっても異空間だった(汗)。
【中】駐車場を団地の敷地の奥へと進んでゆくと、階段があり見下ろすと雑草の中に案内板がチラリ。上を見上げると石垣を抱え込んだ立派なガジュマルが茂っています。
【右】一番下まで降りてゆくと、立派な穴状になっており、天蓋のようなガジュマルが包み込んでいて、とても近代的な団地の中とは思えない別世界でした(ちなみに不心得者が侵入していたようで、墓碑の上に空き缶が置き捨てられていました・・・捨てた奴に天誅が下りますように!)。
パイナガマビーチ機関銃壕
西仲宗根 無名壕
下地仁屋利社の墓碑
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