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2013年05月06日

バス停の墓場

墓場なんて書くと、ちょっとアレですが、まぁ、再利用ということです(笑~たまには軽いネタです)。
バス停の墓場
場所は城辺は新城集落の奥の方になります。
どうやって入手したのかは判りませんが、古いバス停の枠をずらりと並べて、畑の柵に流用しています。
バス停の墓場バス停の墓場バス停の墓場
【左】ずらり並んだ“ヤツ”を逆サイドから・・・。
【中】今度は正面から・・・中の看板部分が綺麗にありません。
【右】オマケは近所にあったオブジェのような古井戸(すばらっ)。

営業エリアを考えると恐らく宮古協栄バスのモノだったのではないかと考えます。古くなって取り替えたものや廃止路線のものと思いたいのですが、廃止路線のバス停は未だに残っていたりしますし(例としては前浜漁港の駐車場など)、久松線に至っては旧式のサビだらけのバスポールが現役として残っているくらいなので(サンエーオリタ裏のOAS前など)、単純にそうともいえないようです。

一応、簡単に協栄バスについてのおさらい(wikiより)。
1959年2月3日、城辺協栄バス合資会社を設立。
1979年4月、下地町営バスの路線移管に伴い社名を宮古協栄バス合資会社へ変更。
以上。
あれ?上野村営バスってなかったっけ?。
現在の元上野バス停(下里通り、平一小の北西側交差点)がターミナルだったと聞いています(R190は昔は空港を横切っていた上野線)。
ちなみに城辺陸上競場付近の畑で、城辺協栄バスのプレートがついた廃バス停を一度だけ目撃したことがある(畑の土留めに使われていたが、今はもう失われてしまったのが残念)。

いずれにせよ、過剰なほどの超車社会となっている宮古島では、路線バスはある意味オワコン。というか、マイナスのスパイラルに取り残されたお荷物的状態になっています。
旧態依然とした形態のまま、利便性の向上とか、利用者への配慮か、環境の変化などを完全に無視したままなのだから、当たり前ですね(旅行者が空港からバスを乗ることが出来ないという不思議な島)。
それでも朝の城辺線の鏡原界隈では(朝だけ片道ダイヤで宮古総実の前まで運行するが、バス停名は未だ農林高校前のまま)、高校生がバス待ちをしていたりする風景がまだわずかに見られたりします。最大の顧客と思われる学生にも使われなくなりつつある路線バスの今後はどうなってゆくのでしょうか?。がんばれ公共交通!

尚、新城バス停から集落奥にあるこのバス停の墓場までは、650メートルおよそ9分かかります。



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Posted by D介 at 12:29│Comments(0)Weblog
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