2014年06月13日
相互銀行
とあるところでイカした廃墟をみかけ、なんとなく周辺をウロウロと徘徊していたら、壁に「●●相互銀行」の文字を発見したのが数年前。
これは調べなきゃ~などと思いつつ一年たち二年たち・・・。
嗚呼、そういえばと重い腰をあげて調べて出して、フムフムと感心したり、ニヤニヤと妄想したりして、また一年。
そして今、ようやく日の目を見る…そんな長期貯蔵ネタです(年数はあくまでもイメージであり、実際の歳月とは異なります)。
現在、沖縄県に本店を持つ銀行は3つあります。
戦後、米軍と琉球政府の肝入りで設立された、特殊な経歴を持つ「琉球銀行」。その最大のライバル行である「沖縄銀行」。そして県内唯一の第二地方銀行である「沖縄海邦銀行」です(他に信用金庫のコザ信金がありますが、離島に支店はありません。また都市銀行はみずほ銀行が唯一、那覇支店を置いているだけです。その他はゆうちょ銀行、JAやろうきんなどの組合系。無店舗系のイオン銀行やコンビニATMもありますが、系列によっては取り扱いは様々)。
今回のネタは「●●相互銀行」です。
現在、相互銀行は普通銀行(おおむね第二地銀)転換されしまったため、今は存在しない銀行形態です。その前身は「無尽会社」という銀行のような組織でした(この時点でなんか変?)。簡単に説明すると大規模な模合のような形で作られた金融組織です(定義が難しいので、うまく説明できてないのですね)。
その流れでゆくとすでに長々と説明している、1992(平成4)年に「沖縄相互銀行」から第二地銀へ転換した、「沖縄海邦銀行」がなんとなく怪しいのですが、「沖縄相互銀行」は復帰前まで、「中央相互銀行」を名乗っており、復帰に伴い同名の相互銀行が名古屋にあったことから改称(現在の愛知銀行)したものでした。
そもそもの成り立ちは「沖縄無尽」(後に沖縄相互銀行に転換)と、「那覇無尽」(後に第一相互銀行に転換)が合併して「中央相互銀行」が誕生したのでした。ハイ、すでにお気づきの通り「沖縄相互銀行」は本島からちっとも出てません(これを調べていて、なんとなく沖縄海邦の沖縄は、県じゃなくて市の方の沖縄たったのかもって気がしてきました…想像)。
これは調べなきゃ~などと思いつつ一年たち二年たち・・・。
嗚呼、そういえばと重い腰をあげて調べて出して、フムフムと感心したり、ニヤニヤと妄想したりして、また一年。
そして今、ようやく日の目を見る…そんな長期貯蔵ネタです(年数はあくまでもイメージであり、実際の歳月とは異なります)。
現在、沖縄県に本店を持つ銀行は3つあります。
戦後、米軍と琉球政府の肝入りで設立された、特殊な経歴を持つ「琉球銀行」。その最大のライバル行である「沖縄銀行」。そして県内唯一の第二地方銀行である「沖縄海邦銀行」です(他に信用金庫のコザ信金がありますが、離島に支店はありません。また都市銀行はみずほ銀行が唯一、那覇支店を置いているだけです。その他はゆうちょ銀行、JAやろうきんなどの組合系。無店舗系のイオン銀行やコンビニATMもありますが、系列によっては取り扱いは様々)。
今回のネタは「●●相互銀行」です。
現在、相互銀行は普通銀行(おおむね第二地銀)転換されしまったため、今は存在しない銀行形態です。その前身は「無尽会社」という銀行のような組織でした(この時点でなんか変?)。簡単に説明すると大規模な模合のような形で作られた金融組織です(定義が難しいので、うまく説明できてないのですね)。
その流れでゆくとすでに長々と説明している、1992(平成4)年に「沖縄相互銀行」から第二地銀へ転換した、「沖縄海邦銀行」がなんとなく怪しいのですが、「沖縄相互銀行」は復帰前まで、「中央相互銀行」を名乗っており、復帰に伴い同名の相互銀行が名古屋にあったことから改称(現在の愛知銀行)したものでした。
そもそもの成り立ちは「沖縄無尽」(後に沖縄相互銀行に転換)と、「那覇無尽」(後に第一相互銀行に転換)が合併して「中央相互銀行」が誕生したのでした。ハイ、すでにお気づきの通り「沖縄相互銀行」は本島からちっとも出てません(これを調べていて、なんとなく沖縄海邦の沖縄は、県じゃなくて市の方の沖縄たったのかもって気がしてきました…想像)。
【左】ただの広告だったのか、はたまたこの建物が相互銀行であったかどうかは定かではありません(情報求む)
【右】永久広告の隣にある壁と一体化した廃墟。「行通安全」という誤植っぽい標語(でも、コレありっぽい気もする)
振り出しに戻って壁面の文字を確認します。
壁材が少し剥がれているので、ペンキ跡がちゃんと読み取れないけど、画像をフォトショを使って解析してみると、なんとなく「共栄相互銀行」と読める気がしてきました。
これなら宮古にあった相互銀行なので、ほぼ間違いありません(結論出しちゃった~ここからいっそう小難しくなりますwww)。
「共栄相互銀行」の前身は「宮古共栄無尽」で、1964(昭和39)年に「八重山無尽」を前身とする「八重山相互銀行」ともに、「南陽無尽」を前身とする「南陽相互銀行」(存続行)と合併します。そして更に1971(昭和46)年には現在の「沖縄銀行」に合併されてゆきます。
ちなみに宮古島で無尽会社というと「みやこ無尽」の方が割と知られていますが、1960(昭和35)年に設立準備中だった「東洋相互銀行」を買収して相互銀行に転換するも、やはり1964(昭和39)年に「沖縄銀行」へ合併されてしまいます(この流れを考えると、沖銀の沖縄は県域の沖縄を意味している気がしました)。
尚、沖縄銀行は1899(明治32)年に開業して大正末期に経営破綻した同名行と、1946(昭和21)年に琉球政府系銀行として開業し、1948年(昭和23)年の琉球銀行設立まで存在した同名行とは、いずれも別モノで1956(昭和31)年に起業しており、これを「沖縄銀行」では起源としています。
けれど、買収や合併を繰り返してきた「沖縄銀行」なので、それぞれをたどってゆくと「宮古共栄無尽」が昭和24年2月1日に認可を受けており、傍流ではありますが最も早い設立となっています。ある意味、「沖縄銀行」は宮古起源といえなくもないかもしれない(笑)
【系譜】 かき集めた資料をもとに片手間で製作したので見づらかった(クリックで拡大します)
最後にもうひとつ余談。なんと宮古にはかつて、沖縄銀行の支店がふたつもありました。
ひとつは現在の宮古支店のある下里通り沿いで、A&Wの向かいにある松原美容室前の残地が「宮古支店」の名残(道路拡幅で発生した)。
そして一本裏手の路地、前・雅歌小屋(元・与古田商店)の前にある駐車場は、かつて沖銀の駐車場でした(さらにその奥にある月極は、今も行員の駐車場として使われています)。
もうひとつの支店は、まてぃだ通りにある現在の宮古毎日新聞社本館(北給油所の隣)が「平良支店」でした。
狭い島のそれも旧平良市内にふたつも支店があったのは、合併して来た結果なのか、ライバルの琉球銀行対策なのかは判りませんが、行員同士で結婚したりすると、宮古支店と平良支店に割り振られて飛ばされることもあったのだとか(笑)。
ちなみにD介の現在のメインバンクは沖銀です。
地元の銀行ならどこでも良かったのですが、沖銀を選んだ理由は駐車場が琉銀より広いからでした(笑)。
【参考】
銀行変遷史データベース
メガバンクとか調べるとめちゃくちゃ面白いですが、すでにコチラにフローチャートが用意されていました(笑)。
Posted by D介 at 14:21│Comments(2)
│Weblog
この記事へのコメント
これはこれは、、、
いろいろ勉強になりましたあ~
いろいろ勉強になりましたあ~
Posted by YSB(わいえすび~) at 2014年06月14日 02:15
YSBさん>
こういう調べものはなかなか楽しいです。
自分もお勉強でした(笑)
こういう調べものはなかなか楽しいです。
自分もお勉強でした(笑)
Posted by D介 at 2014年06月14日 18:00